移住体験談 第一弾 相葉 和彦さんご一家(仮名)
2001年7月、妻と「そろそろ脱都会して田舎へ行こうか。」と何気なく言った言葉で、行動を起こすことになりました。
当時の年齢、私41歳、妻36才、長男6才、次男4才で、埼玉県に在住していました。長男の小学校の入学に合わせて、2002年の3月に移住時期を決めました。
私は、自営業なので、都内に近ければどこでも仕事が可能です。
1)移住先の選定
東京への車でのアクセスを考えて、関越自動車道、東北自動車道、常磐自動車道の沿線としました。私の実家・妻の実家の場所を考慮すると、中央自動車道は外しました。
第一候補地を軽井沢周辺、第二候補地を筑波山麓、第三候補を那須高原です。
第一候補地では、軽井沢ではなく、その周辺地域を回りました。でも、なぜか住んでみたいと思える場所が見つかりません。
第二候補地では、筑波山の周辺地域を回りました。環境や景観はとても素敵です。ただ、本当に田舎であり、農村や山村とうイメージで、都会育ちの私たち夫婦に住めるのか不安を感じました。
第三候補の那須高原は、妻とは観光旅行で1回来ただけで、観光地のイメージが強い場所でした。ここで、ダメならば、再度候補地の選定が必要となり、予定時期の移住は困難と思われました。
2)那須の初回訪問
最初に訪問する前に、那須町・黒磯市の地図を用意して、全ての小学校に2Kmの円を書きました。その中で、明らかに人が少なく農村・山村と思われる場所、街中でゴミゴミしてそうな場所は消去しました。残った箇所は、6〜7箇所です。ここまで絞り込みましたので、1日で回ることができました。また、田舎暮らしのML(メーリングリスト)で知り合った移住者の方にお会いして情報を入手できたことも大変参考になりました。
初めて訪れた黒磯市、脱都会にはとても向いていると感じ、帰宅して黒磯市への移住をほぼ決定しました。
3)候補地の中で絞り込み
黒磯市内の最後まで残った2箇所のうち、青木地区に絞込みました。もう1箇所は、そこにある小学校が廃校予定になっているために、避けることにしました。
インターネットで青木地区に売地がないか検索していると、2つの土地が見つかりました。早速、その物件を持っている不動産会社へメールしました。
大変、丁寧な応対に好感が持てたので、その物件を見に行くことにしました。見に行った物件は、あまり気にいらなかったのですが、その不動産会社が私の希望する区画で物件を探してくれることになりました。
4)土地が決まる
そらから、数日経ってから、2つの候補物件が見つかりました。そのうちの1箇所が気に入り、3回下見した結果購入することに決めました。8月中旬ですので、脱都会を決めてから1ヶ月少々です。
その土地は、立ち木が立っている土地で、周辺には4〜5件程度の家です。青木小学校まで徒歩4分という利便性も気に入りました。車で、10分程度で街中に行けますので、買い物や医療面でも不安がありません。
5)セルフビルド
土地が決まると、あとは家の建設です。これは、脱都会を決めた時から調べて、セルフビルドすることにしました。
基礎工事、電気、水道設備は、プロに依頼するというハーフビルド方式です。施工は、仕事と合わせてのため激務となり頑張りましたが、それでも工期が少々遅れました。後半の3ヶ月で体重が6Kg減です。しばらく街中の賃貸に仮住まいしてから、4月下旬に新居での生活がスタートしました。いよいよ田舎暮らしのスタートです。
相葉様、原稿ありがとうございました。今後、田舎暮らしの体験談もお願いいたします。
那須ウェブネット事務局
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